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写真にとって、背景をあぶり出す為には、関係性が1つのキーワードになると思う。ましてや対象に、あるていどのイメージがついている場合は、なおさらで。カメラって機械は、テクニックや、機能を使う事によって、演出する事が可能で、それによって新たな世界を生み出す事ができるし、それ自体もとても魅力的だと思う。もう一方で、ただ、見えたものを、そのまま写してしまう。っていう不器用な所もあったりする。その不器用な所は、時として撮影する側とされる側の間にある、見えない何かを可視化してくれるときがある。僕は、その性質を利用して、被写体との関係性や、被写体の表情やしぐさから、僕に対する印象を汲み取ってたりする。それらの間合いの攻防が生み出した写真を、ゆっくり眺めて、動的に認識していたものを、静的に考察する事によって、新たな事柄を発見する事が出来るから、今もまだ続けているのかもしれない。って、いきなり、何語りだしてんだよ。ってなると思うんですけど、これにはきっかけがあって。福岡の友達、さんどろんくんから、本を送ってもらって、それを眺めてたら色々と沸き上がるものがあったんで、それを文字化したら、上の文章になっちゃったっていう。作家の方とは、会った事は無くって、mass-hole vs issugiのジャケの時に、あ、俺の写真がmass-holeサイドなんだ!っていう驚きと、じゃあそうなると、issugiサイドはこのCAYO IMAEDAってクレジットされている人の写真なんだ!って。あとは、ヤヒコくんにゴロちゃんに会わせたい人がいる。こんど東京に来るから、行こうよ!って誘われた事があって、それはいつなのって聞いたら、肝心の日付を忘れていて、わかったら連絡入れるわ。って言われてから、今に至るまで音沙汰が無いんだけど…。話は聞いていて、気になっていたから、今回さんどろんくんを通して、カヨさんから送って頂いて、モノが見れてスッキリしたし、嬉しかったです。改めてモノになったものが、人づてで渡っていく強さってものを感じました。写真をとって、ネットにあげて、シェアするのも、現代って感じで良いと思う。ただその一方で、インスタントなその良さが災いもして、大量に溢れ出るイメージの洪水に、流されていっちゃって、気付いたら元のデータも無ければ、記憶も無い。なんて事にもなっちゃうから、接し方を考えなければいけないな。って思う。ビルド&スクラップの繰り返しで、自分が思っている以上に、新しく起きた事、モノにとらわれすぎて、以前に有った事、モノが消え去って行く。全部を記憶しているのは、辛かったりするけれど、忘れてしまうのは、それはそれで悲しい事だから、フラフラしては、自分に都合のいい所だけ、ポチポチっとボタンを押して、ユートピアを目指していくんだろうなと思う。この写真集を作ったカヨさんにも、そういった所あるんじゃないのかな?って、思いながら本を閉じる。写真は、天神の思い出。頂いた写真集へのオマージュも込めて。

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